メッセージ・企業理念Message / Philosophy and Principles

代表取締役社長 福井 秀樹

代表取締役社長 福井 秀樹

誰もが普通に暮らせる
社会の実現のために

三菱商事太陽は、障がいのある人とない人が共に働く「共生企業」です。多様な個性を持った社員が、それぞれの持てる能力を最大限発揮して活き活きと働いています。
私たちは、情報技術を活用した付加価値の高いサービスを社会に提供するとともに身体・知的・精神それぞれに障がいのある社員の雇用にも取り組んできました。
私たちが目指すのは、障がいのある人もない人も普通に暮らせる当たり前の社会です。そのためにも太陽の家の創設者、故 中村 裕博士の理念と、三菱商事グループの三綱領の「所期奉公」の精神を社員一同しっかりと受け継ぎ、多様な障がいのある社員が活躍する場をさらに広げていきたいと考えています。
「原点」を忘れず、常にチャレンジ精神を胸に、誰もが夢を持って安心して働ける会社として、さらなる成長を目指していきます。
“Challengers Forever with Smile”、それが私たち三菱商事太陽です。

代表取締役社長
福井 秀樹

中村裕博士

中村裕博士

中村 裕 博士 (1927 - 1984)
太陽の家創立、企業との共同出資会社設立、FESPIC大会(現:アジアパラ競技大会)、大分国際車いすマラソン大会を提唱するなど、障がい者の社会復帰やスポーツ振興に取り組んだ。

No Charity, but a Chance!
〜保護より機会を〜

社会福祉法人「太陽の家」の創立者である故・中村 裕医学博士。中村博士は、「保護より機会を」という理念を掲げ、「訓練と職種・環境さえあれば、ほとんどの障がい者はどんな仕事でもできる」と、障がい者の社会復帰の機会を創出するために精力的な活動を続け、その生涯を捧げました。
1965年、障がい者の授産施設として太陽の家を創立した中村博士は、障がい者が真の社会復帰を果たすためには、一人前の社会人として企業で働く必要があるとの考えを持っていました。この考え方を実現するために多くの企業を訪ね歩き、太陽の家との共同出資会社設立に賛同してくれる企業を求め続けましたが、理解を示してくれる企業はなかなか現れず、訪問した企業は200社以上にも上ったといいます。

その活動が実を結んだのは1972年。この年、オムロン株式会社との共同出資会社「オムロン太陽株式会社」が発足、その後「ソニー・太陽株式会社」「ホンダ太陽株式会社」が設立され、障がい者の働く場が着実に広がっていきました。中村博士は活動を続ける中で、より重度の障がい者のために、製造分野だけではなく新たな職域開拓の必要性を強く感じ、さらなる支援企業を求め日本中を奔走し続けました。

当時、三菱商事は企業理念「三綱領」の下、真に豊かな社会の実現に向けた社会貢献活動に取り組んでいました。こうした活動を続ける中、中村博士と出会い、その理念に共鳴し、太陽の家への支援を決定。これを契機に太陽の家に情報処理科が新たに設置されたのです。そして1983年12月、障がい者の頭脳労働分野への進出という新たな道を開く「三菱商事太陽株式会社」が発足、翌84年2月に営業が開始されました。

三菱商事太陽設立調印式の日、中村博士は第一期生となる社員たちに「これからはコンピューターの時代になる。君たちが頑張れば重度障がい者の新しい道が開ける」と励ましました。しかし、それからおよそ7カ月後、中村博士は病に倒れ、57年の生涯を閉じたのです。

中村博士と三菱商事、両者の思いが重なり形となった三菱商事太陽。障がい者が生き生きと働く企業として、業務内容を拡大しながら着実に成長を続け、2004年には東京事務所、2007年には北海道事務所をそれぞれ開設しました。

中村博士と三菱商事の理念を受け継ぎ、最新のIT技術を中核とした総合ソリューション提供会社としてさらなる成長を目指しています。

企業理念

三綱領
三菱商事太陽は、三菱グループの企業活動の指針である
「三綱領」をよりどころとして、公正で健全な事業活動を進めています。

綱領 所期奉公 処事光明 立業貿易

所期奉公
事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、かけがえのない地球環境の維持にも貢献する。
処事光明
公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する。
立業貿易
全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る。

(2001年1月、三菱グループ各社で構成される三菱金曜会にて申し合わされた現代解釈)